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グビジネスを俯瞰する。

市場経済のイマを考える(2)

今日のグローバル化の芽生えは70年代の終わり頃にまでさかのぼることができます。当時アメリカ経済はベトナム戦争の後遺症に悩み、また2度のオイルショックをへて、日本を除く先進国の経済は低迷していました。そうした折からアメリカのレーガン大統領や英国のサッチャー首相によって、世界経済を活性化させる動きが始まったのです。それは世界の国々の規制や障壁を取り除き、国際間のバランスを調整して、市場経済の活性化をめざすものでした。日本の中曽根首相もこれに賛同し、現在に至る構造改革の流れになります。この背景にはアメリカの経済学者フリードマンが唱える「新自由主義」があり、「個人の幸せは、個人の努力で可能になる」という徹底した自由競争の考え方があります。


85年のプラザ合意はドル高を懸念して、円高を誘導した通貨レートの調整で、日本の輸出が困難になる不安が拡がりましたが、かえって大量の資金が日本に流入します。80年代末には好況と共に市場経済は成熟しモノ余りの時代を迎え、余ったお金は過剰な投資に向かいかつてないバブル経済を現出し、やがてバランスを失い崩壊します。


いっぽう計画経済によって国家を治めてきたソ連は、第2次大戦後の世界をアメリカと二分して対立していましたが、アメリカとの経済競争と軍備競争に敗れて、80年代末に破綻し91年には70年にわたった共産主義国家の幕を閉じたのです。


こうしてイスラム圏の一部の国を除いて、世界経済は障壁のないフラットなグローバル化へと向かうのです。


折しもバブル経済の崩壊によって不況に陥った日本経済の中でも、靴産業は90年代を通じてのグローバル化の中で中国を中心とする近隣諸国からの低コスト商品の流入によって、大きく変貌したのです。


70年代には3万数千店を数えた靴店は、今や1万3千店以下に激減していますが、この中にはかつては存在しなかった1千平方メートルをこえる大スペースもめずらしくないチェーン店が何社も含まれているのです。


成熟した市場経済によるモノ余り社会は、グローバル化の中でいっそう激しい競争を迫られることになります。


グローバル化する市場経済は、果てしない競争によって限りない活性化をめざす社会ということができます。